解像度向上日記

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バーフバリ感想(ネタバレあり)

 前回から1週間以上空いてしまいましたが、やっと感想を投稿します。3/22に出町座で観た『バーフバリ 伝説誕生』(以下『伝説』)と続編の『バーフバリ 王の凱旋』(以下『凱旋』)について。

 ●あらすじ

・『伝説』

巨大な滝の下で生まれたばかりの赤ん坊を抱き、兵士たちから逃げる老女。濁流に飲まれるが、最後の力で赤ん坊を水面に掲げ続ける。赤ん坊は村人に救われ、子のいない夫妻が彼をシヴドゥと名付けて育てる。老女が力尽きる直前に指し示した滝の上に、シヴドゥは幼い頃から興味を示す。たくましい青年に育ったシヴドゥは、母の制止を振り切って来る日も来る日も滝に挑戦し続け、ある日天女(? 妖精的な存在)に導かれてついに滝の上へたどり着く。彼はそこで天女と瓜二つの女戦士アヴァンティカと出会って恋に落ちる。彼女の一族はかつてマヒシュマティ王国の暴君バラーラデーヴァによって滅ぼされたクンタラ王国の残党であり、クンタラ王国の王女で25年間幽閉されている王妃デーヴァセーナの救出を試みていた。シヴドゥは自らマヒシュマティ王国の宮殿へ乗り込み、デーヴァセーナを救出する。追っ手との戦いの果てに、彼は自分が王子マヘンドラ・バーフバリであり、デーヴァセーナが実の母であることを知る。そして実父アマレンドラ・バーフバリの忠臣カッタッパから、王位継承をめぐるアマレンドラ・バーフバリとバラーラデーヴァの因縁を聞かされる。

・『凱旋』

カッタッパの話は続く。蛮族カーラケーヤとの戦いでの活躍で次期王位継承者に指名されたアマレンドラ・バーフバリは、市井の人々の暮らしを知るために各地を旅する途中、クンタラ王国の王女デーヴァセーナと恋に落ち結ばれる。しかし国母シヴァガミとカッタッパの間の誤解とそれにつけ込んだバラーラデーヴァの陰謀によって王位を奪われてしまう。さらにある事件によってバーフバリ宮廷を追われ、野に下るが、民の間にあってなお王としての才を示し続ける。バラーラデーヴァはシヴァガミを騙して共謀し、カッタッパにバーフバリを殺させた。ついにバラーラデーヴァの陰謀を知ったシヴァガミは、産まれたばかりのバーフバリの息子を抱えて逃亡し、命に替えて赤ん坊を守ったのだった。すべてを知ったシヴドゥはバラーラデーヴァに戦いを挑む。

 

以上のように、勧善懲悪かつオーソドックスな貴種流異譚&父子2代にわたる復讐譚(マハーバーラタが元ネタらしい)である。時系列順に並べると『伝説』後半→『凱旋』前半→『伝説』前半→『凱旋』後半ということになる。

 

 ●感想

 すでに色々なところで言われているけれど、やっぱり映像と音の迫力がすごかった。スケールの大きな映像・壮大な音楽・敵や運命と戦う人々という要素がセットで押し寄せてきて涙腺が緩むレベルで感動させられる。盛り上がるシーンや物語が大きく動くシーンに歌付きの音楽が流れて、字幕で歌詞が表示されて一種のナレーションというか狂言回しになっているのも良かった。作中では同じメロディがシーンによって歌詞や楽器や調を変えて演奏されていたが、iTunesにあったサントラにはメインのバージョンしか入ってないのが惜しい。

 バーフバリ父子は2人とも神格に近い”王”性を持った人物なので、それを示すエピソードも桁外れで面白かった。シヴドゥの滝登りをやめさせたい育ての母がシヴァリンガに1000回水を掛ける願掛けをしているシーンでは、シヴドゥはその巨大な石造りのシヴァリンガを1人で持ち上げる。その瞬間に、それまでいい歳こいて母親を困らせるマイペースボンクラだと思われていたシヴドゥの神性が知れ渡る。シヴドゥはそれを滝の下へ運んでいき、「これで1000回といわず無限に水がかけられて願いが叶う」と言ってのける。アマレンドラ・バーフバリは国母シヴァガミによる悪魔払いの儀式で活躍する。王宮から神殿まで歩調を崩さず歩まねばならない儀式の最中、突然象が暴れ出す。人々が逃げ惑う中、バーフバリは3〜4階建てくらいある巨大な山車を引いてきて象にぶつけて我に返らせ、シヴァガミは山車の下をくぐって歩き続け、儀式を完遂する。それぞれ前後編の序盤において、2人の主人公のスケールのでかい行動と、周囲の驚き(皆これでもかと言うほど目をかっぴらく)でその特別さが明示される。

 しかしこの映画はただ単に豪快というだけでなく、対比または繰り返しによって呼応するシーンがいくつも登場する。バーフバリ父子はそれぞれ恋仲になるデーヴァセーナとアヴァンティカ(2人とも強い)から最初は敵意を向けられて胸に剣を突き立てられる。先ほど言及した悪魔払いの儀式も、『凱旋』のラスト近くでデーヴァセーナによって再演される。その際に発生した障害がどのように乗り越えられるかという部分はまた別のシーンとの対比になっていて、こういった仕掛けを探すのもとても楽しい作りになっている。

 さらにここである疑問が湧く。「シヴァガミによる悪魔払いは、息子(=アマレンドラ・バーフバリ)の助力によって儀式そのものは成功した。しかしこの後本来の王アマレンドラ・バーフバリは殺され、マヒシュマティ王国は25年間暴君バラーラデーヴァの圧政に苦しむことになったのだから、結果として失敗に終わったと言える。25年後にデーヴァセーナが同様に息子(=シヴドゥ=マヘンドラ・バーフバリ)の助力で儀式を完遂したが、果たしてこれは再び災いを呼び寄せないと言い切れるのか?」この懸念は、『凱旋』のラストシーンで映されるあるものによって杞憂だとわかる。これに気づいた時には本当に鳥肌が立った。

 あと、「オーソドックスな神話」としてはバーフバリ2部作には特殊な点があって、それは父親の影が薄いことである。マヒシュマティ王国の建国者であるアマレンドラ・バーフバリの父は彼が生まれる前に死んでいるし、アマレンドラ・バーフバリも息子マヘンドラ・バーフバリの顔を見ずに殺されてしまった。バラーラデーヴァの父は自分の不遇を能力不足ではなく障害のせいにしている人物で、乗り越えるまでもない人間として描かれている。クンタラの王であるデーヴァセーナの兄は、彼女が武術に熱中しているのを全く止めず、デーヴァセーナの意志を最大限尊重している。母親(シヴドゥの育ての母、シヴァガミ、デーヴァセーナ)がめちゃくちゃ強いのに対して強権的な「父」が全く登場せず、したがって「父殺し」も起こらないのは何故なんだろうか。インド神話を全く読んだことがないのでわからないんだけど、インド神話に特有のものなのか、それとも今の時代を反映したものなのか?

 

その他気になったところは、

・『伝説』で登場したイスラーム商人風の武器商人アスラム・カーンが『凱旋』で出てこなかったのはショックだった。カッタッパに「助けてほしいことがあれば何でも言ってくれ」みたいなことを言っていたので、絶対バラーラデーヴァ戦で強い武器を提供してくれると思っていた。

・25年間幽閉されていたとはいえ、デーヴァセーナにはバラーラデーヴァ戦で文字通り一矢報いてほしかった。

・『凱旋』でアヴァンティカのバトルシーンをもっと見たかった。

 などいくつかあったが、全体の良さが百点満点中+1000点に対して上記の不満が各−1点みたいな映画だった。半分考察みたいになってあまり言及できなかったけどぶっ飛びアクションも多くてすごく楽しかった。

 

 

 感想は以上です。Twitterから出て不特定多数に向けて映画の感想書くの難しいですね。頑張ります。